You are the one!

「君は心配しなくてもいゝよ」
「だつて、兄ちやん、本はこの次と云つたぢやアないか」
 まづ、二人は正門を出て、軒並みに本屋の前を歩いた。うつさうとした、山奥の水流をおもはせるやうな、ラジオの音楽が、きらめく水の色を髣髴とさせる。
 五郎は、かなり歩きつかれて、頭の芯が痛くなつてきた。それに暑くて、咽喉もかわいてゐる。
 とある、小さい書肆にはいつて、朔太郎の「宿命」を、なにがしかの金に替へた。全く、なにがしかの金額といふにふさはしい売り値で、専造は本を手離す時、胸がうづいた。
 貧しい学生から、たつた一冊の本すらもうばつてゆくこの世のあはれさを、見参して、専造は、いつか口癖になつてゐる、「都に、骸骨あえれ、犬を、猫を、むさぼり食ふはいつの日ぞ‥‥」と、妙な唄をくちずさんでゐる。

「あら、まだ十時頃ですよお婆さん、あなたは食べてばかりゐるんですね」
 若いお神さんは、いたづらさうに笑ひころげて帰つて行つた。お婆さんはすぐおはぎをたべた。美味しくて美味くて仕方がなかつた。縁側へ出て涼しい処に坐つて、お婆さんはおはぎを愉しんで少し食べた。土の上に冷えた、土鍋のふちに、もう蟻が四五匹這ひあがつてゐる。高い樹で蝉が啼き始めた。
 お婆さんは湿つた押入れをあけて、袋の中から書留と判こを出すと、杖をついて町の郵便局へそろそろ歩いて行つた。郵便局の事務員が「おばあさんは一円おつりがありますか」とたづねた。おばあさんはきこえないのでにこにこ笑つてゐた。
「仕方のないおばあさんだなア、九円ありますよ、おとさんやうに帰んなさいよ」

「おかね?」
「あゝ、おばあさんがとても僕をいぢめて、昨日、僕に出て行けつて言つたンだよ。だから、僕は昨日から帰つてやらないンだよ」
「おうちでみんな心配するでしよ?」
「心配したつてかまはないさ、僕をいぢめるンだもの‥‥」
 鼻が低くつて、耳が小さくつて、おかしな子供であつた。ふてぶてしさがあつて、時々立ちどまりながら、私の袖につかまり、ゴム長の靴をぬいでは、汚水を道へあけるのであつた。遠い道を歩いたのか、その汚水にまぢつて、葉つぱのやうなものも靴の中から出るので、私は、すこしばかり止まつてその子供のすることを眺めてゐた。子供は如何にも物馴れた手つきで、輪になつた針金を首に巻いて、片方づつ靴の中から水を吐き出させると、また私と並んで歩きながら、
「十銭でも五銭でもいいンだよ」